王騎士手帳

カメラと、音楽と、ガジェットと、ときどきゲーム。

どうやったら写真は上達するのだろう

写真、上達したい。

 

でも、上手な写真って、何だろ。

 

ホルンだったらまずそもそも音が出せないところからのスタート、なんでもいいから音を出せるようになるように練習するし

そのあときちんとした音程でまっすぐ音を出す練習をして

正確なタイミングで音を出す練習をして

音と音をうまくつなぐ練習をして

遠い音へ飛ぶ練習をして

小さな音から大きな音まで、ダイナミクスレンジを広げる練習をして

破綻しない音色、柔らかい音硬い音、薄い音厚い音暗い音明るい音軽い音重い音の使い分けをして

そこまでしてやっとスタートラインに立てる、そんな感覚すらある

 

けど、写真はカメラのシャッター押したら大体オートで撮れちゃう。

フォーカスやら露出やら色やら階調やらダイナミクス、シャープネスなんてだいたいカメラに任せておけば、

全く見られないような写真なんてそうそう撮れない。

 

その分、向き合う時間が足りないうちに早々に中身で勝負させられる、そんな気がしている。

 

もとから「持っていた」人たちはあっという間に羽ばたくんだろな。

 

自分は明らかに「持っていない側」の人間という自覚がある。

 

SNSのいいねなんで何をうpするかより誰がうpするかだ、それがその写真がすごい証左にはならない、なんて常日頃は思ってるけど、

いい写真はいい写真なのは間違いなくて、人の目を惹きつける力がある。

いい写真だというよりかは、人の目を引く写真なのだろう。そういう写真が撮れる人は尊敬する。

 

まずは「いい写真」の定義をするのもアリかもしれない。

 

ファインダーから覗いてる時にはいいな!と思っていたものも

後で見返した時になんでこんなもの撮ったんだろ?と首を傾げたりすることを考えると

自分でも大したことないなと思う写真をなぜ平気で人に見せられる?と思わないでもない。でも、撮ってすぐは自分の中で自信があることも多い。

 

冷静になって見たときのフィードバックを自分の中で活かせていけたら、うまくなりそうだなという感覚があるなぁと、いまここまで書き散らして気づいた。でも、感覚的なものだし、理論的な知識武装が足りない段階で見直しても「ん?」と思うだけだし。もうすこしシステマチックに道筋を知りたい。

 

で。

 

じゃあ、システマチックな視点で考えたときに

どうやったら写真は上達するのだろう。

 

 

自分の中でこういう写真を撮りたいという引き出しを増やすのは効果がありそうだ。でも、どちらかというと感性寄りかな。

 

写真集を見る?構図テクニックの本を読む?

絵画の知識をつまみ食いしてみる?比とか。

 

フォトマスター検定なんていう資格もあるそうだ。

資格取得を目指してみる?

 

写真教室に通う?

でも写真教室ってどんなことを教わるの?

 

いい機材を買う?

 

いい楽器やいいカメラは人を助けてくれるっていうのはすごくよくわかる。

金を積めば良い写真が撮れる確率は上がるだろう。

しかし、ただただお金をかけ続けているだけでは例の依存の悪循環コラと同じことにならないか?

 

買うことが目的になっていないか?

 

まぁ何が目的でも、人に迷惑をかけずに自分が楽しければなんでもいいのだろう。

 

でもな。でもな。

目指すものがあったほうが張り合いがあるなぁ、というお話。

 

フォトコン出品、してみる?