ゲームを最後までクリアする。
本を最後まで読み切る。
アニメ、ドラマを最終話まで観る。
なんていうことがどんどんしんどくなってきている。
なんというか、とても気力を使うというか。
全クリアの概念がないコツコツスマホゲーなんかは移動中にやるし
ラジオのながら聞きはするし
短めのyoutube動画はよく見るけど
それなりに集中力が必要で、わざわざ時間を割いてコンテンツを消費するという行為から
どんどん離れているなぁと気づく。
たまにドラマにハマって一気見したりはあるけれど
(それでも一番最近でも「梨泰院クラス」かな)
何となく心のどこかで「そんなことよりほかのことのほうが」と
うっすら思ってしまっているのかも。
思えば、アニメやゲームに一番どっぷりだったのが中学~高校のころ。
字の本も読んだしマンガも読んだ。借りてだけどね。
横溝の金田一がすごく好きで図書館から借りては読んでを繰り返してたな。
中学生のころか、オタク文化が大衆化してきて
電車男とか流行り始めたころ。
ADSLはもうだいぶ一般化していたと思うけど
うちは従量課金のダイヤルアップ接続。
一日一時間まで、と決められた中で
どれだけ面白いコンテンツを探せるかに必死だった。
おもしろFLASH動画をキャッシュに落としておいてオフラインで見たり
通信せずに楽しむ方法をどうにかこうにか考えたりしていたものだった。
そしてyoutube、ニコニコ動画と順調にネットの波に乗っていった。
家のPCもMeからXP、高校生になり個人PCを買い与えられたときはVista。
ネットのいわゆる薄暗いところに片脚を突っ込んだりしてひっそり遊んでいた、
そんな高校生だった。
また、そんなことをして遊んでいることに少し酔っていた節もあった。
あっオレって流行りのヲタクでは?と。
あまり交友関係が広いほうでもなく根暗な部分もあり超の付くインドア派。
素地は整っていたんだなぁ。
・・・とかなんとか、ちょうど、
秋葉原が秋葉原っぽくなくなってきたよなという感情からの連想で思いめぐらせていたとき
いつも更新を楽しみにしているブログでこんなようなことが。
インターネットは明るくなってしまった。
日陰で植生していたものはひからびた。
秋葉原も日の目を見てから植生が変わってしまった。
それどころか生身の性欲がギラギラ渦巻く街になろうとしてる。
そこにあったものはそのままにしておいてはくれず
変わっていくものなのだな。
…なにが言いたいのか全くまとまらなくなってしまったんだけど。
・ヲタクコンテンツを楽しむ気力が年々落ちていく自分がつまらないな
・ヲタクに対して妙なあこがれだけは持ち続けているな
・秋葉原といえば聖地、的な印象はいまだに自分の中にあって、実際好きな街
・だけど、自分の中での「聖地」は2000年代中頃の秋葉原
・あのころはネットもアキバもまだ若干アングラな気配がまだ残っていて、そこに面白みを見出していた
(90年代とか、もっとディープだったんだろうか。)
・街もネットも自分も変わってしまうものなのだな、社会の日が当たって明るくなって消毒されたという言い回しはたしかにしっくりくるかも。
・いまのアニメやゲームにしっかりハマれたら、今の秋葉原ももっと面白く感じるかな
っていうことをきちんと読ませる文章を書きたかったけど無理でした、というのが
きょう書きたいことでした。
あのすいません、マジカル上海っていまどこにありますか?